ご案内
私は、自分が英語を話したり、書いたりしているときに、基本的な動詞についてはつぎの3つの種類の時制で間に合わせている。
それは、「willをつけて未来形にする」か、edをつけて過去形として使うか、現在形をポンと置いて、現在の習慣的habitualな繰り返し的な状態を表す表現の3種類である。
たとえば、「私は、犬を飼っている」のl have a dog のhaveのようにである。
これ以外の複雑な動詞の使い方をしなくても、十分に、相手に意見が伝わるし、それで「かなりな程度までは」なめらかな英語だ、と思っているし、英語国民もそのように言っている。
現在完了形は総じて消えつつある表現であり、あと200年ほどで使われなくなるだろうと、予測できる。
だから、もし、私か、Yes, I did it 「うん。
それは、やったよ」と使うと、それに対して、アメリカ人の友人が。
Oh You have done it 「あ、そう。
もうやったのね」のように、あいづちを打って答えを返してくれる。
このように、動詞を「現在完了形」に直して、相手が答えてくれる時に、「ああ、このdidは、have done と言ったほうがよかったんだな」と気づく。
「あることがらが完了し、しかも、その完了した事実(仕事)が目の前にあって続いているように見えるときには、過去形ではなく、現在完了形の方がいいのである」友人のアメリカ人は、私にそのように言っているように見える。
しかし、彼は、いちいち私に、より自然な英語を教えようという親切心があって、l have done it と訂正しているわけではない。
私の'I did it'を聞いて、「なんか変だな。
ここでは、l have done it と言ったほうが自然なんだよ」という、自分にとって、その場のコトバのやりとりが、しっくりゆくかどうかの問題として、私に向かって、自分を納得させるかのようにあいづち風に、答えているのだろう。
たしかに、微かに、非英語国民に対する言語教育的な配慮の意味合いもあるにちがいない。
この200年ほどの間に世界中に植民地(のような地域)をたくさん抱えてきた人々の言語なのだから、それを母国語にする彼らは、自然と、そういう態度が身についているのだろう。
だから、私は、現在完了形はあまり使わない。
未来形か、現在形か、過去形かのどれかを意識しながら使えば、それでよいと思っている。
この先、死ぬまでずっと英語を話していても、この「have+pp」の壁を完全に越えたと思うことはないだろう。
とあらかじめ、あきらめているというか、タカをくくっている。
英文を読むときに、その中の動詞に現在完了形が扱われていれば、それを、「日本語の世界」にひきずり込んで日本語の動詞ひとつひとつがもっているそれぞれの時間の幅と流れに合わせる。
そして、その上でそれと対応している英語の動詞がそれぞれもっている時間の流れと、幅のくいちがいを自覚し、そこの溝を埋めようとして、なんとかそれなりの自然さが獲得できればいいと思っている。
そこで、私たちが習った現在完了形の文を分析・解剖してみよう。
ここに、l have been to Hawaii for 10 days「私は、ハワイに10日間、行ってました」という誰でも知っている典型的な文について考えてみよう。
このl have been to Hawaii のhave been to は、「~に行ったことがある」(経験用法)あるいは「行って来た」(完了用法)という意味だとみんな習った。
では、この人物は、今、どこに居るのか。
「決まってるよ、日本(の自分の家のあたり)に帰って来ているんだよ」ということも分かる。
だからだ。
つまり、この英文は、l went to Hawaii「私はハワイに行った」l stayed in Hawaii for 10 days「私はハワイに10日居た」and then l came back to Japan from Hawaii「それからハワイから日本に帰って来た」and l am now (at)home「そして今、家にいる」(あるいはI'm in my hometown「私は、自分の町にいる」)。
そして、これら4つの英文を、全部、ギューッと凝縮して、ポンとまとめたのが、まさしくこのI've been to Hawaiiだということである。
「行って」「そこに居て、遊んで」「それから帰って来て」「そして、帰りついて」「そして、今、こうやって友人であるあなたと話している」「私は、ハワイに行ってたのよ」と。
これだけのことが、コンパクトにつめ込まれているのが、この「アイヴ・ベン・トゥー・ハワイ・フォア・テン・ダイス」なのである。
ここに、haveとbeen(=be)という2つの重要な動詞が使われている。
私は、このbeとhaveを特別に「存在詞」というまったくの別の品詞だ、とすべきではないか、と10年前に提唱した。
このbeとhaveだけは、他の一切合切の動詞と同じようなものと考えることはできない。
少なくとも、日本人英語が陥っている巨大な迷妄と、危篤状態を荒療治するには、これぐらいのことを考えなければならないのではないか。
beとhaveだけは、ものすごく別格で、この2つは、「動詞」(何かが動いたり、何かをあれこれ動かしたりするコトバ)と呼べるようなものではなくて、存在詞とすべきである。
そこに、何ものかを、あるいは何事かを「在らしめる」「有らしめる」=「存在させる」「存在している」という根源的なコトバとして理解しなければいけないのだ。
この世界に、「ものごと」や「人間」を存在させる、そもそものコトバである。
beとhaveは、「動詞」なんかにしておくのは、もったいないコトバである。
そもそもbeとhaveが、ただの「動詞」なんかであるはずがないのだ。
なぜなら、2000年もの長い文法学の伝統を持つラテン語文法では、このbeのことをcopula (コピュラ)と呼び、これは、「繋辞」と言って、「あるコトバと別のコトバをつなぐコトバ」という意味であり、そのように考えられている。
つまり、このラテン文法のコピュラのbeは、equal (イコール)のbeなのである。
たとえば、l am in the room (アイ・アム・イン・ザ・ルーム)を「私は部屋の中です」と訳すと、ホウ、「私は」「部屋の中」なのか、と、私という人間は、部屋の中なのか、という疑問がわいてくるだろう。
「私」=「部屋の中」となって、「私」という人間が、「部屋の中」だということになってしまう。
そのように一瞬強く感じられると思う。
ここに何か重大な秘密があるのだ。
lam(now)in the roomこれは、「私という人間が」「今」「この部屋の中に」「存在している」ということだ。
当たり前だ。
だから、このlamのamは「存在のbe」である。
このbeは、=existenceのbeなのであって、この場合は、「イコールのbe」ではない。
ここのところを、私たちは、あまり当たり前のことだと考えない方がいい。
「オレは英語の勉強を10年もやってきたんだ。
バカにすんな」などと、思わないで、もう一度、素直に考えてみてほしい。
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